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歯車の凹凸が噛み合わないって話

僕がまだ小3くらいのとき、どういう文脈だったかはよく思い出せないんだけど、クラスの女の子に「角煮は男子の中のどのグループにいるの?」って聞かれたことを何故か鮮明に覚えてる。

 

 

 

小3くらいにもなると、習い事とか趣味とか色々な要素でそれぞれの個性が細分化されていって、似ている個性、相性の良い個性をもとにグループは形成されていく。実際僕のいたクラスも今考えてみたらグループはあったんだけど、僕は何故かそういうのを気にしないと言うか、察せてなかったみたいで、分け隔てなく色々な人と遊んでた。たぶんその光景が、男子よりも先に大人になる女子の目からすると異様だったんだろうと思う。

 

 

 

何で僕がこうなのかについては考えてみたけどいまだに良くわからなくて。でも、もちろん得手不得手はあるけれど、人と分け隔てなく接することが少なくとも悪いことになるわけがないと思って、最近までずっとこのスタンスを崩さずに生きてきた。けど、実際にそれなりに歳を重ねてみたら、分け隔てなく接してきた僕よりも、グループになっていた人達の方が人間関係が続いてることに気づいてしまった。

 

 

 

ちょっと前にある人も言ってたけど、人間関係は歯車で形容できる。人それぞれの個性、感性などが歯車の凹凸を形成して、別々の歯車の凹凸が上手く噛み合ってお互いがちゃんと回転できて、そこで初めて人間関係が構築できたと言える。この凹凸は人間関係を構築する上で物凄く重要で、それこそがそれぞれの人の「核」となるものなんだと思う。

 

 

 

僕の歯車の場合、自意識過剰と笑うかもしれないけど、凹凸が殆どないというか、そもそも歯車の材質が粘土とかで出来てる。噛み合いたいと思う歯車があったら、その人の歯車の凹凸を理解しようと努めて、その人の歯車に似たものを僕も作り上げる。一見完璧に噛み合うようでも、いかんせん僕の歯車の方は粘土だし、例え相手の歯車が僕と合わせてくれようとしても、急造の凹凸だから崩れていっちゃって、結局うまく噛み合わないで回転しないまま終わっちゃう、みたいなことを、22年間ずっと続けている気がする。

 

 

 

 

「誰とも仲良くする人は、誰とも仲良くできない」ってのは本当にその通りで、材質が粘土で出来てる歯車がいくら頑張ったところで上手く噛み合うはずがなく、結局のところ、確固たる個性、感性、歯車で言うところの凹凸がしっかりしている人ほど人間関係が長く続く。歯車も、工業用のものみたいに完璧に噛み合うものじゃなくても、偶然噛み合ったとか、他は全然だけどある一ヶ所だけすごく噛み合うとか、そういうことでも良くて。グループとかも、色々な人と接してみたうえで歯車が噛み合った人達が集まっているだけで、誰が悪いとか、不平等とかじゃなくて自然の摂理なんであって。そのことに気づくのが僕はあまりにも遅すぎた。

 

 

 

 

最近はこんなことをずっと考えてる。誰かと仲良くなりたいと思っても、その人の歯車と上手く噛み合わないといけない。だからといって急造で凹凸を合わせるのもまた違うし。たぶん今は、僕自身の歯車の凹凸をちゃんと理解することが一番大事なんだと思う。人間関係って本当に難しい、誰か僕を助けてくれ。

喉仏(のどぼとけ)の話

 今年の11月で僕は22歳になるし、周りからはもう大人だと思われてもいい年頃じゃないかと思うのに、未だに何故か、我が家にどこかの会社から電話がかかってきた時に「ご両親はいらっしゃいますか?」とまず何よりに先に聞かれる。必ず。本当に面倒臭い。ちなみに両親は妹共々フランスに去年から移住しているのでいない。「いつごろご両親はお帰りになりますか?」と聞かれるんだけど、家庭の事情を他人に伝えるのもいちいち面倒臭いし、いつ帰ってくるのか僕も知らないし「四年後あたりですかね」って答えるようにしている。おそらく本当にそのくらいだと思う。

 

 来年からは社会人になる予定だし場合によっては一人暮らしを始める可能性もあるし、そろそろこの面倒くさい問題を解決しようと、何故自分は「ご両親はご在宅ですか?」と問われてしまう存在なのかについて真剣に考えてみた。結果、自分は成人男性が本来持つべきである喉仏(のどぼとけ)が皆無なせいで中学生男子みたいな声しかでないからなんじゃないかと思った。

 

 実際のところはどうなのかわからないけど、喉仏が大きい人ってめっちゃ低くて良い声出てませんか?僕が好きなバンドのボーカルなんて首の中腹に角生えてるし。いまGoogle画像検索で「麒麟 川島」と調べてみたらそうでもなかったんだけどそれはイレギュラーってだけで、割合的に喉仏が大きい人は大人っぽい低い声の持ち主が多いと思う。僕は昔から喉仏が皆無なことに強いコンプレックスを持ってて、そのせいで自分の声が子供っぽい、ひいては自分の性格、精神年齢が幼いのも全て喉仏が無いせいだと本気で思っている節があるんですよね。第二次性徴をするタイミングを部分的に逃したみたいな。

 

 調べてみたら喉仏の大きさは男性ホルモンの分泌料が左右するって書いてありました。ただ、一度会ってくださった方ならなんとなくわかると思うんですけど、僕の顔って結構男性ホルモン強めの顔だと思うんですよね。ヒゲも一日で2mmは伸びますし。男性ホルモンが多い方が都合が良い身体的特徴、例えば喉仏の大きさとかには全く反映されない癖に「毛が伸びるのが早い」ことに関しては他の追随を許さないとか、ホルモンバランスあまりにも悪すぎません?美容師にも「髪が伸びるのが早い人はエロいんですよ~(笑)」って言われるけどどう返せばいいんだよ。

 

 自分の身体的特徴のことを卑下したって埓が明かないので、「両親が在宅を聞かれる前に自分を家主だと向こうが勘違いしてくれるようになる妙案」が思い浮かんだ方は是非教えてください。どしどし募集してます。

マザー2の話

 最近、ふとやりたくなって3DSバーチャルコンソールで「マザー2」を購入しました。いつかやってみたいと思ってたので。就活生なのに。いまだに内定ないです。誰か助けてくれ。f:id:kakunirentaro:20160628022751j:plain

 マザー2面白かったです。まだ途中ですけど。今ピラミッドの前あたりです。ゲーム性自体には特にこれといった感情は無いんですけど、ストーリーやキャラクターのセリフ、特にポーラが旅に出るときのポーラのお父さんのセリフとかに泣きそうになりました。糸井重里はセンスだけで生きているいけ好かないおっさんだと思ってましたけど少し見直しました。ほぼ日手帖使うか。

 僕が思うにマザー2のいいところって、冒険に出るのがネスのような年端もいかない子供達であることにもあると思うんですよね。その子供たちに対しての周りの大人たちの接し方とかも良いですよね。ネスやポーラの両親のように暖かく接してくれるようなこともあれば、アンドーナツ博士のように息子に対して無頓着である人もいるし。もしまだもっと子供だった頃にやってみたらよくわからなかった彼らの言動の意味も分かるようになったりするんだろうし、そういう意味ではどの年代からも愛される任天堂らしいゲームですよね。

 あと、なんか懐かしいんですよね。自分にもネス達と同じ歳だった頃とか、違いはあれど彼らのように冒険をしたことを思い出したりとかして。「クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲」を観てるときと似たような感覚になりました。ドットだからってのもあるんでしょうね。最近のゲームって何でもかんでも綺麗な絵を求められるじゃないですか。あの風潮この辺でもう終わりにしません?敢えて荒い画質のゲーム、良いと思います。僕は買わないけど。

 話が少しずれるんですけど、ちょっと前になんかのサイトのコメントで「ポケモンはドットじゃなくなったから終わり」ってのを見つけて。そのときは「現実受け入れろよ」と思っただけだったんですけど、最近マザー2をプレイしてみて、なんとなくその人の気持ちがわからんでもないなって思って。多分その人にとってのポケモンはマザー2的な立場でしょうね。自分はポケモンは青版からやってましたけど3Dになったの普通に受け入れられたけどなあ。「価値観の違い」ってやつですね。

 そういえば、今の子供たちってああいうめっちゃ画質のいいゲームで慣れ親しんでるわけじゃないですか。その子達が大人になって昔のゲームをやったとして、僕たちがマザー2とかに対して思う懐かしさみたいなものを彼が思うことってあるんでしょうかね。だって少なくともグラフィックはこれからは殆ど変わりようがないじゃないですか。アンチャーテッドの新作のトレーラーとか観ましたけどこれからどうするってんだよ本当に。

『ローマ法王の休日』の話

 昨日はベルスにらいかないさんとアフガニスタンとかに行ってきました。その帰りの電車の中で『ローマ法王の休日』っていう昔観た映画のことを何故か思い出したのでちょっと書きます。

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 こういうポスターです。題名のフォントが可愛いね。

 あらすじの説明をしようとしたけど、観る方が言葉で説明するより早いし正確だと思ったので予告編のリンク貼ります。文明の利器には頼るべきです。昨日の秋葉原ヨドバシカメラでもそう思いました。ドラム式洗濯機すごすぎ。

www.youtube.com

 会社勤めに疲れたOLがふらっと寄ったTSUTAYAで借りていきそうな映画。「おじいちゃんも頑張ってるし私も頑張ろう」みたいな感じで。

 このあとがんがんネタバレしていくつもりなので、ここまで読んで「この映画観てみよう」と思った人はこのあとは読まないでね。映画自体に興味ない人は出来れば読んでね。

 

 

 

 

 結末を先に言ってしまうと、この逃亡したじいちゃんが大勢の民衆を前にして「やっぱ自分向いてないっす」みたいに言ってローマ法王になりません。おじいちゃんはその場から逃げ出し、民衆がざわつき、教会の人とかが落胆して、ものすごく後味が悪い感じで終わります。 

 法王候補の人達が世界中から集まって次期法王を決めるコンクラーヴェっていう会議からこの映画は始まります。実際はどうなのか知らないけど法王ってどうやら誰もやりたがらない職業みたいで、有力な候補は何人かいたものの、そいつらがさながらダチョウ倶楽部かのように示し合わせて、全く候補の眼中に入ってなかったメルヴィルっていうおじいちゃんが次期法王に決定することになります。さながら冴えない男子が委員会の委員長を半ば強引にやらされるシーンみたいな感じ。

 本人も自分がやることになるとは夢にも思ってなかったみたいだし、世界中の全カトリックのトップに君臨しろと急に言われてもという感じで、バチカンに集まる大勢の敬虔なカトリック教徒の前で就任発表から逃げ出します。教会の人はセラピスト(この役を監督自らが演じている)を呼んで「あんたなら法王できるよ」と説得しようとするけど全然ダメ。次期法王であることを知らないまた別のセラピストに診察させることが必要であるとセラピストは考えて、ローマの街にいる元嫁のセラピストのもとに極秘で連れて行く。何度目かの訪問でメルヴィルはローマの街に逃亡します。この辺は予告編でも言ってる。ここからの最後らへんまでのシーンは殆どはどうでもいいです。セラピストに教えてもらったバレーボールがバチカンで流行るくらいしか面白いことないです。いろいろあってメルヴィルバチカンに戻って、最終的に自分はやっぱりやらない宣言をして変な空気になって映画は終わります。

 もしこの映画が普通の映画というか、いわゆる王道のストーリーだと、メルヴィルは紆余曲折はあったものの法王に就任するんだろうなと思いました。そんな感じのストーリーだと思って観てた人は最後のシーンで裏切られたように感じるでしょうね。実際にTwitterでエゴサをかけたら「時間かえせ」だとか「騙された」とか言われました。

 そもそもこの映画、さまざまな場所でのジャンル分けでは「コメディ」に属されるらしくて、予告編を観たらわかると思うんですけど、完全に制作側が視聴者を騙しに来てます。「ローマ法王の休日」という字面を観たら否が応でも『ローマの休日』を連想させるし、そうなるとそのストーリー、ローマの街に逃げ出したオードリー・ヘップバーン演じるアン王女とグレゴリー・ペック演じるアメリカ人新聞記者との間の短いラブロマンスを連想させられる。『ローマの休日』のアン王女はちゃんと王女として戻ってきました。ちなみに原題は「Habemus Papam」(ラテン語で法王の決定)。完全に確信犯じゃん。

 ただ、もちろん制作側としてもこちらを騙すつもりがあったことは確かだけども、視聴する側も「そういう映画が観たい」という感情があったからこそこの映画をチョイスしたのではないかなと考えるようになりました。

 生きている中で様々な障害に出くわした時に、「その問題と真正面から向き合って打開しようと努力をする」ことを「美徳」とする風潮がどうしてもあって。ミスチルの「終わりなき旅」の歌詞にもあるように、その問題が苦しければ苦しいほど打開することによって成長できることは確かで。ただ、その美徳を全うするためにはどうしても辛いことや苦しいことと真正面から向き合わなくてはいけなくて、その人の精神はどんどん磨り減っていく。自己啓発本を読むことと同じで、みんな辛いんだ、みんな苦しいんだと思って、その苦しい状況を抜けた人のドラマティックなサクセスストーリーで自分を元気づけようとして。この映画はそういう人たちに対して「そんなに苦しいなら逃げれば?別にいいじゃん」っていうことを伝えたかったのかなと昨日思いました。全然違うかもですけど。これは極論の比喩ですけれども、その人が道端でライオンに遭遇したとして、例え「逃げるな」って他人に言われたとして絶対逃げるじゃないですか。その事態がその人にとってのライオンであればそりゃ逃げたほうが絶対にいいですよ。じゃないと死にますよ。全然関係ないですけどライオンっていいですよね。好き。

 これは予告編の時点で実は全て分かることなのだけれども、映画の中でメルヴィルは自分の仕事を聞かれて役者と言っているし、逃亡中に知り合った劇団の人たちとご飯を食べたり、その劇団の公演を観に行ってるし、映画の中では触れてはいないけども、もしかしたら映画での最後のシーンのあとに劇団に入ったんじゃないかなあ、夢叶えてるといいなあって、履歴書とかエントリーシートとか書かないで全然関係ないことを2400字近くも書いている就活生は思ってる。就活やらなきゃなあ。マジで嫌だなあ。

扇子を買いに行った話

 一昨日が兄の誕生日だった。

 私たち兄弟は特段仲がいいというわけでもないが、なぜか昔から誕生日プレゼントをあげあう週間ができている。去年の私の誕生日にはちょっとしたブランド物の白いニット帽をもらった。

 もともと持っていた紺色のニット帽をどこかに紛失して、近いうちに新しいのを買わなくてはと思っていたので非常にありがたかった。

 ただその白いニット帽、日常的に被ってはいるものの、ひたすら自分に似合わない。そもそもニット帽って、最近で言うと坂口健太郎みたいな可愛い系でかつ塩顔みたいな人が似合うのであって、坂口健太郎成分が顔面のどこにもない自分が白いニット帽を被るとるろうに剣心の悠久山安慈みたいになった。心なしか顔も似てる気がする。目つきが悪いとことか。

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 今年は何をあげようかとぼんやり考えていたら誕生日が過ぎた。

 「注文したんだけどまだ来ないんだよね」といってはぐらかしながら何を買えばいいのか考えてたら、兄が「うちわを買わなきゃな」とボソッと言っていたこと思い出したので、扇子にすることにした。

 今日の昼過ぎ、重い腰を上げながら扇子屋が大量にある浅草に出向いた。久しぶりに見る雷門は工事中だった。「工事中です」と書かれた看板を何人もの外国人が寂しそうに眺めていた。中国人は喚いていた。

 仲見世通りの裏通りなどにある扇子屋をいくつか回るも良さげなものが見つからず、浅草寺の正面の階段に座り抹茶アイスを食べながら途方に暮れていた。

 残りの電池容量が2%になったスマートフォンで「男性 おすすめ 扇子」で検索してみたら良さそうな店を見つけたのでそこに向かうことにした。当てずっぽで浅草なんか行かず最初からそっち行けばよかった。 

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 神田にある「新京清堂」というその店は、浅草にあったお店と違って洒落ていた。若者受けする柄とかがいっぱい置いてあったので、もし東京で扇子を購入される際は選択肢の一つとしておすすめしたい。

 扇子に対しての知識が微塵もないため、お店に入ってすぐに店員にオススメの扇子を聞いてみた。若い女性だった。綺麗な方だった。その後の会話で23歳だと判明した。

 予算を言ったあとにお店にあるオススメの商品を教えてもらっていると、汗が噴き出してきた。

 小さい頃からなんだけれども、自分は洒落た場所だったり洒落た人と話していると汗が噴き出す。おそらく「ここにいてはいけない」と自分の体が自分自身に危険信号を出しているのだと思う。ここ数年は同じ店で服を買っているのだが、何度行っても汗が吹き出る。汗を必死に拭っている自分を見て店員が「今日クーラーの効き悪いですもんね」とフォローをしてくれた時は顔から火が出るほど恥ずかしかった。「お洒落なとこに行くと汗が吹き出る体質なんだ」と説明したら「分かる」と言われた。ショップ店員が分かるわけないだろ。その店員とはその後ちょっとだけ仲良くなった。80年代の西海岸のロックについて熱く語る人だった。デイビッドボウイが死んだ時はいかに彼が偉大な存在だったのかを熱く語る店員を僕を汗をぬぐいながら眺めていた。

 吹き出る汗をTシャツでぬぐいながら必死に扇子の紹介を聞いていた。おそらくこの店員は自分のことを「ひたすら汗をかく不審な人物」と捉えているのだろうと考えていた。その時だれよりも扇子が欲しかったのは自分かもしれない。

 最終的に、店員のオススメのトンボの柄のついた黒と紺の扇子を購入した。6480円。買うはずだったフットサルシューズの資金が消し飛んだ。トンボ柄は「前進あるのみ」という意味が込められていて贈り物に最適なんだという店員の言葉に従うことにした。扇子が入った桐箱をプレゼント用に包装してくれている間に他愛もない会話をしたが、話があまり続かなかった。誰か僕に人との上手な会話の仕方を教えてくれ。

 家に帰って兄にプレゼントを渡した。それなりに喜んでいたので良しとする。来年はもうちょい安く抑えようと心に誓った。