『ローマ法王の休日』の話

 昨日はベルスにらいかないさんとアフガニスタンとかに行ってきました。その帰りの電車の中で『ローマ法王の休日』っていう昔観た映画のことを何故か思い出したのでちょっと書きます。

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 こういうポスターです。題名のフォントが可愛いね。

 あらすじの説明をしようとしたけど、観る方が言葉で説明するより早いし正確だと思ったので予告編のリンク貼ります。文明の利器には頼るべきです。昨日の秋葉原ヨドバシカメラでもそう思いました。ドラム式洗濯機すごすぎ。

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 会社勤めに疲れたOLがふらっと寄ったTSUTAYAで借りていきそうな映画。「おじいちゃんも頑張ってるし私も頑張ろう」みたいな感じで。

 このあとがんがんネタバレしていくつもりなので、ここまで読んで「この映画観てみよう」と思った人はこのあとは読まないでね。映画自体に興味ない人は出来れば読んでね。

 

 

 

 

 結末を先に言ってしまうと、この逃亡したじいちゃんが大勢の民衆を前にして「やっぱ自分向いてないっす」みたいに言ってローマ法王になりません。おじいちゃんはその場から逃げ出し、民衆がざわつき、教会の人とかが落胆して、ものすごく後味が悪い感じで終わります。 

 法王候補の人達が世界中から集まって次期法王を決めるコンクラーヴェっていう会議からこの映画は始まります。実際はどうなのか知らないけど法王ってどうやら誰もやりたがらない職業みたいで、有力な候補は何人かいたものの、そいつらがさながらダチョウ倶楽部かのように示し合わせて、全く候補の眼中に入ってなかったメルヴィルっていうおじいちゃんが次期法王に決定することになります。さながら冴えない男子が委員会の委員長を半ば強引にやらされるシーンみたいな感じ。

 本人も自分がやることになるとは夢にも思ってなかったみたいだし、世界中の全カトリックのトップに君臨しろと急に言われてもという感じで、バチカンに集まる大勢の敬虔なカトリック教徒の前で就任発表から逃げ出します。教会の人はセラピスト(この役を監督自らが演じている)を呼んで「あんたなら法王できるよ」と説得しようとするけど全然ダメ。次期法王であることを知らないまた別のセラピストに診察させることが必要であるとセラピストは考えて、ローマの街にいる元嫁のセラピストのもとに極秘で連れて行く。何度目かの訪問でメルヴィルはローマの街に逃亡します。この辺は予告編でも言ってる。ここからの最後らへんまでのシーンは殆どはどうでもいいです。セラピストに教えてもらったバレーボールがバチカンで流行るくらいしか面白いことないです。いろいろあってメルヴィルバチカンに戻って、最終的に自分はやっぱりやらない宣言をして変な空気になって映画は終わります。

 もしこの映画が普通の映画というか、いわゆる王道のストーリーだと、メルヴィルは紆余曲折はあったものの法王に就任するんだろうなと思いました。そんな感じのストーリーだと思って観てた人は最後のシーンで裏切られたように感じるでしょうね。実際にTwitterでエゴサをかけたら「時間かえせ」だとか「騙された」とか言われました。

 そもそもこの映画、さまざまな場所でのジャンル分けでは「コメディ」に属されるらしくて、予告編を観たらわかると思うんですけど、完全に制作側が視聴者を騙しに来てます。「ローマ法王の休日」という字面を観たら否が応でも『ローマの休日』を連想させるし、そうなるとそのストーリー、ローマの街に逃げ出したオードリー・ヘップバーン演じるアン王女とグレゴリー・ペック演じるアメリカ人新聞記者との間の短いラブロマンスを連想させられる。『ローマの休日』のアン王女はちゃんと王女として戻ってきました。ちなみに原題は「Habemus Papam」(ラテン語で法王の決定)。完全に確信犯じゃん。

 ただ、もちろん制作側としてもこちらを騙すつもりがあったことは確かだけども、視聴する側も「そういう映画が観たい」という感情があったからこそこの映画をチョイスしたのではないかなと考えるようになりました。

 生きている中で様々な障害に出くわした時に、「その問題と真正面から向き合って打開しようと努力をする」ことを「美徳」とする風潮がどうしてもあって。ミスチルの「終わりなき旅」の歌詞にもあるように、その問題が苦しければ苦しいほど打開することによって成長できることは確かで。ただ、その美徳を全うするためにはどうしても辛いことや苦しいことと真正面から向き合わなくてはいけなくて、その人の精神はどんどん磨り減っていく。自己啓発本を読むことと同じで、みんな辛いんだ、みんな苦しいんだと思って、その苦しい状況を抜けた人のドラマティックなサクセスストーリーで自分を元気づけようとして。この映画はそういう人たちに対して「そんなに苦しいなら逃げれば?別にいいじゃん」っていうことを伝えたかったのかなと昨日思いました。全然違うかもですけど。これは極論の比喩ですけれども、その人が道端でライオンに遭遇したとして、例え「逃げるな」って他人に言われたとして絶対逃げるじゃないですか。その事態がその人にとってのライオンであればそりゃ逃げたほうが絶対にいいですよ。じゃないと死にますよ。全然関係ないですけどライオンっていいですよね。好き。

 これは予告編の時点で実は全て分かることなのだけれども、映画の中でメルヴィルは自分の仕事を聞かれて役者と言っているし、逃亡中に知り合った劇団の人たちとご飯を食べたり、その劇団の公演を観に行ってるし、映画の中では触れてはいないけども、もしかしたら映画での最後のシーンのあとに劇団に入ったんじゃないかなあ、夢叶えてるといいなあって、履歴書とかエントリーシートとか書かないで全然関係ないことを2400字近くも書いている就活生は思ってる。就活やらなきゃなあ。マジで嫌だなあ。